2017年6月7日水曜日

雨が降る降らないを正確に予測できなかっただけで、険悪な雰囲気になる夫婦もいます。


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今日は全国的に天気が悪いようですが、雨の日はいつもより憂鬱になります。

こんなことがありました。

ある休みの日、夫が上機嫌でどこかに出かけたいと言い出しました。
私は、その時天気予報を見て、「夕方から雨が降る予報だよ」と伝えたのですが、夫は「レジャーをするわけでも無いし、そんな事気にしてたら出かけられないだろ」と言うので、ここであまり「でも」を繰り返すと、「でも」が大嫌いな夫、上機嫌が急転直下、不機嫌になるのが目に見えていたので、口答えせずにそのまま出かけました。

出かける前に「傘要るかな?」と言ったところ「大丈夫だろ?」と言われたので、ここでもまた「でも」と言いかけて、辞めました。

私はこれまでの夫との衝突の中で、とにかくこの「でも」恐怖症になっている自分に気がつきました。
「でも」と言うと、夫はまず自分を否定された感覚に無条件でイラつきます。
自分の考えが一番と思っている、少なくとも私の意見などよりもはっきり上だと思っています。
私としては「でも私はこうしたい」という意味で「でも」と言っているわけではなく、どうしたらいいか迷うという意味の「でも」なので、だからといってどうしようという別の案があるわけでも無いので、「でも〜」と言いつつ代替案をすぐに出さない私に、さらにイラつくようです。

今回の場合だと、「でも雨降ったら困るかも…」なんて言うと「じゃあ持っていけばいいだろ!」とイラつかれるでしょう。
雨が降るかどうかなんて予報をちらっと確認しただけではよく分からないですし、持っていって全然降らなければ「邪魔なのに持ってきて」となじられるかもしれない。
私は自分に自信が無いし、そういうことをテキパキとその瞬間に決断できないので、決断もできないのに「でも」と口を挟むと、すごくイラつかれますので、私はそれが怖くて、いつからか「でも」さえ言わず、考えることも辞める癖がついてしまっている気がします。

電車で出かけたのですが、帰り、夕方になると、天気予報は見事に的中して、雨が降り出しました。

そこで夫はものすごく不機嫌になりました。

理由は、天気予報まで確認して雨が降る情報を得ていたにもかかわらず、なんで傘が要ると判断しなかったんだという事でした。
天気予報を見たのは私だけで、夫は私がそう言っている、という認識しか無かったので、「大丈夫だろ?」と夫が言って、私が「うん、そうだね」と言ったら、私が天気予報を見た上で大丈夫だと判断したと思われるわけです。

確かに、逆ならこうならなかったかもしれません。
夫が天気予報を見ていたら、私がなんと言おうと、傘が要ると言って持ってきて、その通り雨が降って、ほら見ろ俺の判断が正しかっただろと言われるシチュエーションが容易に想像できます。
だからこそ、夫には、私の判断力の甘さ、せっかく情報があったのに活かせない機転の利かなさに、イライラするんだと思います。

意見を返されること、反論されることを無条件に嫌がり拒否反応を起こして怒るくせに、都合が悪くなると私にしっかりとした意見が無いことを責め立てます。

私は確かにトロいし、夫はそういう面ではきちっと行動できる面を持ち合わせていますが、私ももし、頭ごなしに怒鳴られたりしない状況で自分を尊重されて考えを自由に言わせてもらえるならば、傘やっぱり持って行ったほうがいいよね、くらいの事は言える頭はあります。
でもそれが言えない恐怖心というか、言う気が失せるプレッシャーというか、そういうのを日々夫から感じていて、でもそれを言葉にして説明できない、できたとしてもそれは余計相手を激昂させるだけの口答えにしかならないので、結局何も言えなくなって、ただ責められて惨めな気持ちになって、うつむいているしかできなくなります。

それになぜ、判断を誤ったといって一方的に責められなくてはいけないのか。
家族ってそういうものなんでしょうか。
世界中が敵に回っても最後の最後まで味方してくれる唯一の存在が、家族なのじゃないかというような理想というか幻想というか、そういうことを考えては、じとじとと降る雨が、うじうじする自分の心を写しているようで…

なんだかなぁ。



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