2017年8月28日月曜日

不幸な嫁は不幸な嫁としか付き合えない


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さっき出先で顔見知りの奥さんと鉢合わせて、少し立ち話をしました。

彼女は自営業の旦那さんと結婚して、生活は不安定で旦那さんの稼ぎも多くは無いみたいで、節約節約と合言葉のように言って色々とやりくりしているみたいですが、その旦那さんとは仲良しそのもので、旦那さんのことを話す時に、表情に翳りは一切無く、ほとんど悪口などなく、たまにわざと「うちの旦那なんて〜」と言う時も、照れ臭そうに、嬉しそうに、結局悪意などひとつも含まずに話します。
よく一緒に買い物をしたりするということも言っていました。

彼女は別に自慢げに自分のことを大げさに話してきたり、別の人の陰口を言ったり、私を蔑んだりしてくるわけでは全然無いのですが、私が彼女としゃべっていて感じる一番のことは…

幸せで生き生きしているオーラに合わせられない。

そういう感じです。

例え自慢話じゃなくても、幸せな人は幸せな言葉遣いをします。
それはその人が選んで口にした単語の意味や概念ではなく、その言葉に帯びた雰囲気、オーラというようなものに乗って伝わってきます。

私は彼女に「うん、うん」とか「素敵ね」とか相槌を打つことはできるのですが「私も〜」と会話に乗ることはできません。
素敵な人だなとは思いますが、私とは自分の環境に対して感じている感情が違いすぎて、辛くなるばかりです。

対抗意識を燃やして、負けていると辛くなるのではなく、あなたと私は全然違うんだという実感に辛くなるんです。

かといって、不幸な人と顔を突き合わせて、お互い愚痴の応戦をしていたら、一瞬うさを晴らせたようにも感じますが、結局惨めで、辛くなります。

私が昔から対人関係がうまくいかず、今も引きこもり主婦なのは、そういうところにあるように思います。

他人と会って、愚痴りたいのか、のろけたいのか?
別に愚痴りたいわけでものろけたいわけでも無く、価値観の合う人とは静かになんでもないことをしゃべっているだけでいいと思うのですが、自分が不幸だと感じてしまっている自分にとって、価値観の合う女性というのは、やはり、幸せな人では有りえない。

幸せじゃない人と幸せじゃない人が会って、笑いあえたら救われるのでしょうが、私には、私の状況を笑って話せる友人は、未だ一人も見つかっていません。



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